身体を探求するってこと② ジャイロトニックで模索と探求!
- kurisu tomoko
- 2018年8月31日
- 読了時間: 2分
おとといのブログに書いた「身体を探求するってこと」。
”身体の探求”ってこうやってやるんだ!って小学生の女の子に勝手に教わったその時まで、わたしは自分の”身体を模索”していたんだなーと。
「探求」と「模索」の意味、goo辞書で調べたら
「探求」- 物事の意義・本質などをさぐって見きわめようとすること
「模索」- 手さぐりで探し求めること
まさに辞書に書いてある通りの感じ!
若い頃からの縫い物生活とパソコンでのお仕事、運動不足などでどうにもならなくなった身体を、どうにか動けるように...と運動を再開し、ジャイロキネシスに出会った2012年から、ジャイロキネシス・ジャイロトニックというメソッドで身体をどうやって動かしていけばいいのかな?って模索してきていたのです。
なぜ「探求」にならずに「模索」だったかと言うと、わたしの中で「今、うまく行っている!」っていう”身体の基準”みたいなものがなかったから。
そして、こうやったらうまくいったっていう”成功体験”みたいなものを、身体を動かすっていうことでは持っていなかったため。
なので、お客さまの身体は、トレーナーとして色々勉強してきたことと照らし合わせたり、実際に目でみたり触ったりできることで、どういう方向にいったらいいかってことをお伝えすることができたけど、いざ自分の身体となると、うまく行っていない感が強くて、本当に模索を続ける日々。そして、時々セッションを受けに行って答え合わせ。って感じでした...
今のわたしにとっての身体の基準ってざっくり言うと、半年間の解剖学の講座で習った”呼吸がちゃんとできる身体の方向性”みたいなこと。(ほんとはもっと色々あるけれど...)
講座が終わった後の感想として”安心安全で楽に生きている身体の状態は自分の身体でどういう状態なんだろう?”っていうことを体感させてもらったことを書いたのですが、その状態がわたしの身体がうまく行っている基準!
その状態から動き始められること、そしていつでもそこに戻ってこれること。動いているときも呼吸はしていること。
そこからものすごく外れてしまったとき、どこでおかしくなってしまったのかな?って考えるための道筋を持っていること。
それが、今のわたしにとって自分の身体を自分自身で探求する準備が整ったってことかなーと。

色々運動をしても、身体の調子がよくなっていかないなーなんて時、ジャイロトニックを始めてみませんか?
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